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10歳の頃の私~最高の恩師のお話~

こぼりたつやさん主催の「3000文字チャレンジ」。

今回のお題は「3000文字10歳の頃」。

ほかならぬ10歳と言う限定ワードに、ぜひとも書きたい!と思うものがあり、文字数が足りるかどうか不安ですが、なんとか挑戦してみることにしました。

あと、ラジオで「文武両道」の話があったのですが、これを書く前に普通のブログ1記事(もうひとつのはてなの方)アップしたので、なんとかご容赦を…。

 

小学校4年生だった10歳の私に、一生忘れることの出来ないほどの大きな大きな出来事があったのです。それは、担任の先生のお話。

自分のnoteでも少し触れたことがあるのですが、今回はもっと掘り下げたエピソードもお話していきたいと思います。

 

10歳の頃の私。一言で表現するなら『頭良さそうな人を装った、隠れちょいワルな少女』でした。成績は手前味噌で恥ずかしいのですが良い方でした。しかし、男子たちと遊んだり、時にケンカになったりの、素行はちょっぴり悪い子でした。この頃ゲームする女子ってけっこう限られていましてね。ファミコンで遊ぶイコール男子の友達がやや増えがちになるのです。まあ、近くに住んでたお金持ちの幼なじみの女の子の家は、当時PCエンジンとか、パソコン(PC-9801)とか持っていたのですが…。まあ、ファミコンやったり、野山で遊んだり、田舎ならではの自由きままに遊んでいた気がします。

 

新4年生、4月の新学期。新しい担任の先生が発表になりました。Y先生と言う、第一印象は「けっこうお年を召したおじいちゃんだなぁ…」でした。最初は好きでも嫌いでもなく。プリントを配る時、めくりやすくするために指を舐めるのが、一部のクラスの子に不評でした。ご年配の方あるあるですね。私もそれはちょっと…と思っていましたが、いちいちそのプリントを特定して避けるのも面倒だし、まあ結果的に気にしていませんでした。一学期の最初は特に意識もしていなかったと思います。しかし、ある時期から先生にやたら褒められるようになるのです。

それがね、私を呼ぶ時の発音が最初面白くて。

私、突然のカミングアウトなんですが、旧姓は「鈴木」なんです。まあ、この先離婚後も子供たちの希望により旧姓に戻さない予定なので、身バレの心配はないでしょう。

で。先生の「すずきさん」の発音は独特で。

普通、どこにもアクセントをつけず「す(→)ず(→)き(→)さん」と平坦な発音だと思います。

しかし、先生の場合最初のすが強くて「す(⤴)ず(⤵)き(→)さん」と呼ぶのです。最初は慣れなくて、違和感しかなくて、ちょっと変な先生だなぁ…とも思っていました。

呼び方には違和感があったのでしたが、先生は私をなぜだか過大評価してくださいまして。事あるごとに名指しで褒めてくるのです。(発音は上記の通り)

「見てごらんなさい、すずきさんは姿勢がシャキッとしている。」

(えぇっっ、今そうでもなかったけど、そう言われたらシャキッとしなきゃいけないじゃん…)

「すずきさんは漢字がとてもきれいに書けている。」

などなど。元来褒められ慣れていない私は正直背中がムズムズするような気持ちでした。そんなに褒められるほどの素行の良い人間とも思っていませんでしたし。戸惑いばかりでしたが、そのうちに「しっかりと見てもらえている嬉しさ」「評価してもらえる嬉しさ」に少しずつ、少しずつ目覚めていくのです。

今まで「勉強なんて、わかってるから適当でいいや」と思っていたのが、「先生がそう言ってくれるなら、頑張ってみようかな」なんて思うようになります。

自主学習もたくさんしました。漢字百字ノート1ページが本来の宿題の量だとすると、私は言われてもないのに4~5ページやっていったりもしました。ちょいワルを装っていましたが、意外と素直で単純なヤツでした、私。

 

読書感想文のコンクールに応募してみよう!とかも言われて。ああでもない、こうでもないと書き直して、結果は入賞くらいはしたと思います。

そして、3学期の始業式で「全校児童の前で新年の抱負の作文を読んでみよう!」とかも言われて。何でもかんでも挑戦させてくれる、ありがたい先生だと思う反面、荷が重いと思ったのも事実です(泣)

で、その作文を書くにあたって「先生が例を書いてきた」と言うので、見てみることにしました。

すると冒頭が「今年は、ひつじ年です。元来ひつじというのは私たちの暮らしに大きな恩恵を与えてくれる、ありがたい動物です。さて、年頭にあたり・・・・・・」みたいなのだったんです。

あ・・・あのぉ・・・。

いやいや、せんせぇ。

それ、小学4年生の読む作文じゃないですって。

先生の事は尊敬していましたが、ここは却下で(苦笑)

結局無難に「私は今年、二つの目標があります。・・・・・」みたいな冒頭にさせてもらいました。

 

そんな、私を評価してくれてた話はここまでにして。

先生には、人生の色々なことも教えてもらったと思います。

28~9年前である当時で、60歳前後(推定)だったので、もちろん戦前生まれの方です。Y先生の下の名前の一文字は、乃木希典大将の一文字と同じなのが誇らしく、嬉しかったという事。

学生時代はヒョロヒョロだった先生が、ある時自分の信念を持って、体格の大きいガキ大将に立ち向かっていったこと。

足をある時大ケガしてしまい、それ以降片足はずっと引きずって歩いていること。

その足のケガが理由で、戦争には召集されなかったこと。でも、先生は戦前の考え方のもとで育っておられたので、戦争に行けなかったことは「良かった」とはおっしゃいませんでした。「お国のために役に立てなかったのが悔やまれる」と。戦争についても、戦前の考え方についても肯定はしませんが、先生はその時代の中で一生懸命に真っ直ぐに生きておられたんだと思いました。

戦後は学校の先生になられたこと。とある学校に赴任中、下駄箱のすのこか何かを作ろうとして、電動のこぎりで指を切断してしまったこと。今では管理作業員さんとかが配置されているし、修繕や保全作業を教師がすることはないと思うのですが、昔ならではの話だなぁと思いながら聞いていました。

ある時は、ろう学校で教えていた事もあったと、そこでの様々なお話もきかせてもらいました。(少しずつ記憶が薄れているので、具体的なエピソードが思い出せないのですが。)

 

時に厳しくクラス全体を叱ることもありました。印象的な言葉が、

「江戸の仇を長崎で討つような真似はするな。」

いじめの話をする時に、この言葉はよくおっしゃってました。

要は嫌なことがあったのを、まわりまわって変な形で復讐するなと。

これは一番よく憶えていて、我が子たちにも教えています。

あと、この時教わって我が子たちにも教えているのが、

「探し物は自分で7回探してから人に聞くように」

そのくらい、自分で努力してから人に聞けってことなんですね。

よく失くしものしますが、この教えが頭の片隅にあるので、自分なりに必死に探してから人に聞きます。

 

先生は1年で転任されてしまったので、教わったのは1年だけでした。でも、小学校生活で一番充実していたと思っています。本当に感謝してもしきれない、恩師の中の恩師。年賀状も二十歳くらいまでやりとりしていました。

考えてみれば、自己肯定感の低い自分にとって、先生がいなければ今の自分も無かったんではないかと思うのです。今でも充分に自己肯定感は低めですが、10歳のあの思い出があるからこそ「私も捨てたもんじゃないな」と思えるのです。

 

そして、現在。

私も子供4人の親となりました。

口は悪いし、親なのにゲームはしてるし、Twitterやりだすと時間をちょいちょい忘れるし、ロクな親ではないなぁ…と自覚しています。

ただ、ひとつ譲れないこと。

子供の最大の味方になってあげよう!と言うこと。

子供自身が自分を好きになれて、のびのび成長できるように。

そう、10歳の頃の私が、先生にしてもらったように。

 

今回も読んでくださいまして、ありがとうございました。