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野菜を育てること、人を育てること

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 3000文字チャレンジ、今回のお題は「野菜」です。

 

 

私はこの春に地元山口に引っ越してから、家庭菜園を楽しむようになりました。別居前の大阪でも植えてないことはなかったのですが、今とは全く違う環境でした。

と言うのも、都会のコンクリートジャングルだからとか、猛暑がきついからと言う理由だけではありません。もちろん環境的にはここよりは過酷ではありました。そのせいかもしれないのですが、なんか義母の家庭菜園のやり方とどうも意見が合わなくて。

愚痴テイストにはしたくないのですが、自分を振り返る上でもちょっと考えたい事でありますので、あえて記事にしてみたいと思います。お付き合いくださる方はお読みくださると幸いです。

 

大阪の、小さな町工場と住宅地の混在する、私の住んでいた場所。そこでプランターで野菜を植えようと言ったのは義母。私は当時そこまで家庭菜園に興味がなくしかも素人なので、田舎で野菜を育てていた義母の育て方をただただ見つめるだけでした。特に口出ししません。

葉もの野菜を植えると、どこからともなく虫が寄ってきては、丸はげになるまで食べてしまう。防虫ネットをかけたり、夜な夜な夜行性の芋虫を退治しに庭を見回りもしていました。私は「なんか大変そうだなぁ」と思うしかありませんでした。

夏野菜を植えると、最初は春の寒の戻り、苗がしっかりするまではドキドキハラハラで、それが過ぎると実の付き方が気になり、そして収穫が始まったと思えば猛暑へ。

遮光ネットをあっちへかけたりこっちへかけたり、そしてプランターなので、あっちに移動したりこっちに移動したり。野菜を植える用のプランターはやや大きく土がたっぷりと入るものですからそれはそれは重いのです。義母の代わりによくプランターを移動させました。あとは植木の剪定なんかもやってました。日当たり良くなるようにとか、風通しよくして害虫が寄り付きにくくなるようにとか。

猛暑の頃は打ち水もたくさんしました。お風呂から残り湯をバケツで何往復も運んで。

 

そうやって、文字通り手塩に掛けて育ててきた家庭菜園の野菜たち。

私はそれなりに収穫できたし、子供達も喜んでいたので楽しい気持ちでやっていました。しかし、義母の理想は高すぎて。こんなに手をかけたのだから、理想通りたくさん収穫出来て当たり前!みたいな考えの方でした。よく費用対効果のようなことも口にしていました。もちろん家の収穫物だけでは毎食のお野菜を賄えるわけはなく、普通に特売の野菜も買ってました。「これ、いくらで買ってきたの?」「〇〇円」「安いわねー。作る意味ないわよね。」「いやいや、手作りの野菜には特別な良さがあるから、それはそれでいいよね。」なんて会話を何度も繰り返しながら、なんとなく違和感を覚えつつ。思えばその違和感が全てだったのかもしれません。

 

手をかければ、必ず理想通りになる。ならなければ、なるまで手をかける。

 

うん、何か違和感がする。どう考えても、違和感しかない。

これを野菜ではなく、人で考えてみる。すると、ちょっと極論ぽくなってしまうのですが、こんな感じになります。

 

わが子は可愛い。だから、他の誰よりも立派にしなくてはいけない。まずは礼儀正しくしよう。言う事を聞かないなら、無理やりでも聞かせよう。育つのに邪魔になりそうな友達は排除しよう。そして、立派にするという事は、学力も良くなければならない。塾に通わせよう。お金をかけても一流の学校に進学させよう。一流の学校を出たら、立派な社会人になるだろう。今まで投資した分、親に恩返ししなさいよ。

 

なんか想像しただけで窮屈そうでゾッとしますよね。 

そんな過保護を受けていた野菜たちはどう思っていたのかは知る由もありません。その環境を心地よく思っていたのか、はたまた窮屈に思っていたのか。いずれにせよ、それなりに収穫があり楽しませてくれてはいましたが、その植物たちの生殺与奪の権利は全て義母にありました。来る日も来る日もあちこち日当たりや避暑の環境をかんがみて移動していく。近くに来た虫は排除される。子供たちがうっかり連れて帰ったバッタを見て「害虫なんか持って帰って!早くどこかにやりなさい!」と言い放ち。

さらにいうと、諦めるとバッサリと処分していました。

「あぁ、あれもうならないからぶった切ったわ」みたいな。

 

だんだん怖くなりました。気に入らなければ、あっさりと切られてしまう。

それは対人面でもそういう傾向でした。

いずれ私も用済みと判断されたら、ここの野菜たちみたいにバッサリ切られるのかなぁ。…なんて半分冗談・半分本気で思っていました。

そしてその予感は数年後、現実のものとなったのです。

 

義母は野菜を育てるように、孫たちを育てていました。

手をかければかけるほど、必ずいい子に育つと。そのためには、大人がその子に合った友人をみつけて来なければならないとか。学校の成績をよくするために、完璧に宿題をさせなければとか、本当に窮屈な環境。進学先も高いところを早々と期待され、さらに大人になれば「育てた恩」を押し売りされる。それって正常な状態なんだろうかと。

 

結局、その環境に母子ともどもドロップアウトし、今の状況に至るのですが。

 

お行儀良い、立派なお野菜には育つことが出来なかった私たちは、この新しい地でまた野菜を育てることにしたのです。

私は仕事もしているし、いちいち虫の見回りも出来ないし、植えたらそんなに手もかけられないだろうなぁ…とは思っていました。

まぁ実際は思ったほども虫も多くないし、水と肥料をバランスよくやるだけで、あとは基本放置状態です。

そんな中、キュウリの苗がひとつ弱った子がいました。もう、駄目かなぁと思っていました。ひとつ100円以内の苗とは言え、義母だったら「弱いのを買ってくるのが悪い」と言いそうです。まあ、お金は大事にした方が良いのは当たり前ですが、苗やその時の天候なんて誰も予測がつかないわけで。

仕方ないし、でもキュウリは大量に食べたいしで、新しく苗を買い足してきたのです。そしたら弱ってた苗ちゃんまで頑張ってリカバリーしたではないですか!なので、現在無駄に4株もキュウリ植えてます…。でも絶対にキュウリは余らない。だって親子全員大好きだから。そのまま食べるもよし、サラダにするもよし、浅漬けにするもよし、ちょっとアレンジしてキムチにするもよし、ちょっと飽きてきたら炒め物や煮物にするもよし。

 

子供達の家庭菜園に対する関わり方も変わってきました。今までは「子どもが手を出すと生育が悪くなる」と水やりなどのお手伝いも拒否されてきていたのですが、今は私は基本大まかなこと以外は口出しをしません。水やりも、したりしなかったり。子供がしなかった日はこっそりあとで大人がフォローするだけ。

昔は花が咲けば、「理科の勉強になるから見なさい」と言われて急に呼び出され慌てて見に行っていたのですが、今は何も言わなくても自分たちで「花が咲いてたね」「実がついたよ」「まだまだミニトマト、色づかないね」など、自然に観察しています。

そして更に「うちの野菜が出来たら、じいじ食べてね」なんて。

 

野菜を育てるのと、人を育てるのは、何か似てるなぁって思いました。

自分の思い通りなんて絶対にならない。

そんな窮屈な枠で見ないで、そのままの姿でのびのび見てあげたらよかったのになぁ。でもきっと、そう思っていることは義母たちには届かない事でしょう。

だからこそ私は、生命力溢れる子供たちを、そして可愛らしい野菜たちを、そのありのままの姿のまま、のんびりとした目でみつめ続けているのかもしれません。