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失敗の美学

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ふと、思ったことをそのまま綴ります。

 

今のご時世「失敗」にやたら過敏に反応することが多いように思います。

あるアーティストが大事な場面で歌唱を失敗したとか、芸能ゴシップ、失言などなど…。まぁ、失敗自体を擁護はするつもりはないのですが、最近みなさんひとつの失敗で叩き過ぎじゃないかなとふと思ったりもするのです。

 

芸能人や有名人だけでなくても。

仕事上の失敗なんかもそうですよね。

子供の失敗も。誰かとトラブルになったとか、何かを忘れたとか、外で誰かに迷惑をかけたとか。

 

人生において失敗だらけだった私が思う事。

この世から失敗を排除したら。

失敗した人を完膚なきまでに叩き、排除したら。

良い社会になるのでしょうか。

私が思うに、それはとても生きづらい場所になってしまうのでないかと。

 

これははるか20年近く前の話。

とある小さな会社に勤めていた私は、ある日とんでもない仕事上の失敗をします。内容は言えないのですが、下手をすると会社の存亡も危ういくらいの、それはそれは一番下っ端の私にとっては背負うにも背負えないほどの大失敗です。

社長に「バカヤロー」と怒鳴られたような覚えがあります。

でも。

私はその失敗のおかげで今の仕事に対する姿勢を学んだような気がするのです。

 

ここからが大事な事。

失敗をした人に、どう接するか、どう言うかでその後のその人の心持ちが全く変わるのではないかと。

私の場合、まあそれはかなり怒られた気がします。でもその社長は

・人としての部分を否定するような怒り方はしなかった

・原因とその後の対策を一緒に考え、それを社内で周知徹底してくれた

・後始末は私に半分背負わせ、残り半分は引き受けてくれた(一緒に謝罪に行ってくれた)

ことによって、私は救われ、その後自分の成長の大きな糧になったと思っています。

 

失敗で潰れるか、失敗を糧に成長できるか。

その分かれ目は自分の中だけのものではないような気がします。

それは子供ならなおさらの事。

 

わが子が失敗をしたとき。

・注意をしても、人格を否定しない事(頭ごなしに言わない事)

・原因を一緒に見つける事

・これからどう気を付けるかを一緒に考える事

・失敗から目を背けない事、でも前向きに捉えるように促す事。

という点を重視して注意をするように気をつけてます。

失敗は悪い事じゃない、失敗から学べれば貴重な体験だったと。そのかわり謝るべきは謝り、同じ失敗は繰り返さないように肝に銘じるようにと。

 

失敗は叩こうと思えば都合よく切り取られ、その部分だけクローズアップしたらよいだけで、それは現代のネット社会の常とう手段でもあるように感じます。

政治家のような重要な職務の方ならまだ仕方ないかもしれないですが、その次元を対一個人で持ち出されたら、それはそれは本当に息苦しくなります。

 

例えば私の夫。

私が車を壁に擦ったことやその他至らないことをあげつらっては「だからあの母親はダメなんだ」とわが子に言う。私の失敗だけを羅列し非難されたら私は何も言えません。失敗したという事実は事実ですからね。

じゃあ、その他は差し置いて失敗すれば「全てがダメな人間だ」という事になるのか。

この問いに、「そうだ」と言われるような世界には生きていたくないな、と思うのです。

 

前にも書いたのですが、人を非難するなら、自分もそれ相応の人間でなければいけないだろうという持論があるのですが。

その理論でいくと、人の失敗をあげつらい叩く人はきっと今まで失敗の全く無い完璧な人間だったのでしょうね、と思うのです。

 

私には到底できない。

ヒトは不完全で、失敗をする。けれどそんな葛藤がある人間こそ尊く美しい。

失敗を糧に這い上がれる人は強く、そして優しく輝く人になれると。

そう信じているから。

 

そんなとりとめのない話でした。

読んでくださいまして、いつもありがとうございます。