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橙と南天

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なんだかんだで今年ももう終わろうとしています。久しぶりの仕事復帰、俗に言う「ワーママ」とやらカテゴリーに身を置くことになりまして。仕事と家の事と子供の学校園の行事…。一言で片付けるには余りあるほどの多忙でした。

 

そして、やっと迎えた年末のお休み。今年は長距離の移動もないし、のんびり過ごすぞーっと思っていた矢先、家庭内におけるインフルエンザのパンデミックが発生しまして。まぁ、仕方ないですよね。現在発症していない私はさながら『バイオハザード』の主人公のような孤軍奮闘っぷりでございます。

 

そんなこんなの本日、インフル罹患中の母上(予防接種していたため軽症)からあるお願いをされます。

「姉の納骨されているお寺へお供えとお参りをお願いしたい」と。

まぁ毎年の節目の事ですし、気持ちはわかるのですが、状況が状況。父上は入院中、自宅にはインフル罹患者がごろごろしている現状で、別に無理して行かなくても…なんて心の中では思ってしまったのですが、母上の中では行かなければ気持ちがスッキリしないのでしょう。快くお受けいたしました。

 

お寺までは車で30~40分の山道を抜けた先にあります。そこは温泉旅館や、地元のご当地グルメで有名なお店などが軒を連ねる辺りの一番奥。ひとりでお参りに行くのはもしかしたら初めてかもしれない。いつもは、親なり自分の子供なりと一緒でしたから。それにしても、朝から子供を休日診療のやっている病院へ連れて行ったり、その他もろもろの家事をしたりでちょっと疲れている中での孤独な運転。軽い眠気が襲ってきます。

 

あぁ、眠たい・・。カーオーディオで音楽を聴いても眠気は収まりません。

そうだ!姉のところに行くのだから、姉にいっちょ話しかけたつもりで独り言でも言ってみようと思いまして。

ちなみに、私の姉という人は若くして不慮の死を遂げてしまった方なのですが、なかなかパンチの利いた性格でございまして。数々の武勇伝を残していた人物でもあるのです。亡くなった方の若干悪口とも思えるような事も言ってしまいますが、姉を想う有り余るほどの愛情ゆえの発言と思って聞き流してくださいませ。

まずね、まぁストレートに言うとワガママさんなのですよ。妹への圧が半端ない。

学生時代、姉は「少女コミック」という隔週発行のマンガ雑誌を購読しておりました。雑誌なんだし、読んでも減るものでもない。私も好きな連載マンガが掲載されていたので、姉の留守中にこっそり読みます。姉が帰宅します。はい、読んだことがあっさりバレます。「雑誌が置いていた場所から動いてる。読んだでしょ。」とな。まあ、その恐ろしさたるや、今でもブルっとしちゃいます。寸分たがわぬくらいに雑誌をそっと元の場所に戻しても、カマかけられて結局怒られるので、その後は私が同じく隔週発行の少女マンガ雑誌「マーガレット」を購入し、お互い交換して読み合うという約束を取り付け、なんとかお咎めがなくなったのでございます。

あと、姉妹はゲーム大好きでして。ある時期スーパーファミコンの『ロマンシングサガ』に二人してハマっていた時のこと。初代ロマンシングサガをプレイされた方はご存知かもしれませんが、セーブする際、3つのデータ欄のうち、最後にセーブしたところにカーソルがあるのですよね。私が遊んでて、無意識でパパっとセーブした時。

…うっかり姉のデータのところに上書きしてしまったのですね。

その時の恐ろしさは、今でも忘れられないほどのトラウマ級の出来事でした。

そんな姉がもし今の時代に生きていたら、どんな暮らしをしていたのでしょうか。あの時代はまだガラケー全盛期でしたし、ニンテンドウDSやスマホなどはまだまだ未知のもの。もし生きていたら、年末にもし帰省してきてもコタツでゴロゴロしながら、ポテチやコーラ片手にスマホゲームにいそしんでいたんじゃないかなぁ…なんて思ってみたりもするのです。なんたって、親孝行などするような性質ではありませんしね。甥っ子姪っ子にはお年玉をくれるのでしょうかね。あやしい限りです。

 

まあ、そんな懐かしい思い出話やくだらないたられば話を勝手にしゃべっていたら眠気もなくなり、無事到着したわけなのです。

そこは姉だけがいるお寺。父方も母方も代々のお墓や納骨されているお寺は遠方のため、なかなか行くことは出来ません。そこで、お参りするときは姉以外のご先祖様にも想いを馳せるのです。

 

わが子達にとってのどちらの家の曾祖父母も、私の子供達が生まれる前、もしくは長男が覚えてもいないような幼い頃に亡くなっていましたので、子供達の記憶には曾祖父母の姿はありません。そして更にそれよりも先に亡くなっているひいひいじいちゃんやひいひいばあちゃんも。

今の子にとってはお墓も仏壇も、もはやあまり馴染みのないものになりつつあるようです。昔は仏壇があり、ご先祖様の遺影がある家が多く、私は曾祖父母の家で仏壇に手を合わせ、お供えのお下がりのご飯を頂いていた、そんな記憶が残っています。今はなかなかそういう家は少なくなってきているのでしょうか。それでも、お墓や仏壇がなくても、自分たちのルーツにあるご先祖様方に思いをはせ、敬う心は伝え教えていくべきではないかと強く思うのです。

私の覚えている限り、子供達に曾祖父母や今は亡き親戚の方々の話を伝えていきたい。

そのつながりが無くなれば、だんだんと人とのコミュニケーション形成に何らかの悪影響があるのではないかと、危惧するのです。

人はSNSのアカウントのように、パッと湧いて出てくるものではない。

昔から脈々と人との繋がりがあって、今の自分があるんだと。

 

私の家には橙の木があります。お正月飾りで「代々続きますように」と願いを込めるこの橙の木は、曾祖父母宅から枝分けしてもらったものです。

そして、南天の木も。「難を転じる」と言われるこの南天は、30数年前この今の家を新築する際に私の祖父から苗をもらいました。まだ幼子だった私の手にすっぽりと収まるほどの小さな苗。今となっては手入れが行き届かず、私の背を越すくらいに伸び放題になってしまっていますが。

 

あと、もう少しで新しい年を迎えます。ちょっとイレギュラーなこともありましたが、最後は難を転じるだろうと信じつつ、代々続く私たちのルーツに感謝し、新年を迎えたいと思っています。