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母親って何なん?という話題に想う

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こんばんは、お久しぶりです。

え?コイツはブログ書く人なの?って思われるくらいにお久しぶりです。

 

今回はもうタイトル通りのお話。

かたやネグレクトで子を死なせてしまう母親もいれば、お惣菜のポテサラを買おうとしただけで見ず知らずの老人に暴言を吐かれる母親もいる。

 

本当に、母親ってなんなんでしょうね?

もちろん、世の中には日頃から家事育児をされている男性も多々いらっしゃるわけなので、こういう表現も少々疑問に感じるのですが、世間の話題にのぼる頻度の差からいって、まだまだ家事育児を女性主体のものとして位置づけている方が多いのでしょう。

 

 日本に根強く残る、「母親とはこうあるもの」みたいな概念。

家事育児をきちんとこなし、温かい手料理を食卓に出し、家庭を守り、私用で遊びに行くなんてもってのほか!みたいな。

 いまだにそういう考えの方が一定数いて、そして家族に意見するのみならず、見ず知らずの赤の他人までもが「こうあるべきなのに何だ!」と、凝り固まった呪縛のような母親論をテロのごとく振りかざす。


ちなみに、うちの両親も典型的なこの形です。むしろモラハラの臭いがするレベルですが、娘である私でもこれ以上は立ち入れない。


私自身、自らの結婚体験により、嫁として母親として、かなりのハイレベルなものを要求され、それをこなすのが務めと思っていた時期もありました。それと同時に違和感も感じるようになりまして。


確かに、母親として、子の命を預かり、健康を預かり、将来のために最低限導かなければいけない部分もある。それは怠ってはいけないけれども、でも、そんなに息苦しくなるまで自己犠牲をしなくちゃいけないのかな?とも思うのです。


私事ですが、先日知り合いの方とお食事に行く機会があり、夜数時間ほど同居の両親に子どもをお願いして出かけました。数カ月に1回はこう言う事があります。思えば、母はそう言う付き合いで家をあける事はほとんどなかったように思います。だから、もしかすると両親からしたら「娘は母親なのに遊びに行って!」などと多少は思っているかもしれません。


なんとなく後ろめたい気持ちが、全く無いとは言えない。


しかし、今回の食事の時に子どもから言われた言葉。

出かける前に娘から「普段お仕事頑張ってるんだから、楽しんで来てね」と。

帰った時に起きていた息子には「どうだった?楽しめた?良かったじゃん。」と。

本当に、救われました。

もちろん、そう言ってもらえるにはやるべき事はしていないといけない。

平日は仕事をして、仕事が終わったら子どもの勉強につきあったり、ご飯も作ったり。

休日も習い事の試合に同伴したり、通院させたり、遊びに連れて行ったり。

だからこそ、たまにリフレッシュしてくるのを容認してくれてるんだろうなと、そしてそう思ってくれる子ども達が本当にありがたい。


確かに、私も他人から家事育児などにとやかく言われたらその場で反論出来るかは分かりません。多少は気分の悪さを引きずってしまうかもしれない。


でも、最終的にそれをジャッジするのは他人ではない。


お惣菜を買って、もしくは外食でも、親子楽しく食事できればそれでいいんだし、逆に手の込んだ料理を作る母親でも、そればかりにとらわれ楽しく食事ができなければ意味がない。

子育てに疲れ、時には遊びたい気持ちも分かるけれども、その気持ちが暴走して子どもをおろそかにしてはいけない。


1番大事なのは、子どもとの信頼関係なのかなぁ…と思います。


なにかと不寛容な社会になりつつある部分もあり、時に他人からの言葉に心がざわつく事もあると思いますが、子どもが笑顔で暮らせるのが母親としてベストなのだろうと思い、自分への戒めと、そして違和感へのスルースキルを持って行きたいなぁ…と思ったのでした。