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ちょっとオトナのTKG-3000文字卵かけご飯-

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これは、3000文字の『原点』へのオマージュとして書かせていただきました。

「卵かけご飯」ほど欲望にストレートな食べ物はないのかも知れない…とふと思った。空腹という欲望に対して、ダイレクトにいち早く満たしてくれると言っても過言ではない存在。
卵かけご飯は直情的なのだ。欲しいと思った時、ご飯と卵さえあれば良い。冷蔵庫から卵を取り出し、おもむろに割る。醤油をかけ、乱暴にかき回し、ご飯にかけ、空腹に任せてあとはかき込むだけ。

この感覚、何かに似ている。

・・・ピンポーン
・・・カチャリ
「えっ・・・どうしたの?タカユキ君…。こんな夜に突然来るなんて…」
「マキ。・・・なんかさオレ、今日は急にお前を抱きたくなって…。」
言い終わるか終わらないかのうちに、タカユキは玄関先で不意に抱きしめる。戸惑いながらもマキは彼の腰に手を添える。ハァっという大きなため息にも似た息遣いから、彼の本気度をひしひしと感じた。
そのまま二人はベッドルームへと流れ込む。静寂の部屋に彼のベルトを外すカチャカチャという音が響く。ベルトを外し終わる頃には、お互いの感情のリミッターも外れていってしまったかのように…。
そして、二人は絡まり合い欲望を満たしていくのだ。


そう。卵かけご飯はさながらストレートに求めあう恋人たちのよう。欲した時、手っ取り早く卵を割り、そして求めた分だけ満たされる。卵を割るプロセスとベルトを外すプロセスは、どちらも欲望を満たすための扉を開くかのよう。
とは言え、卵かけご飯も恋人たちの睦言も、いつでもそんなに雑で簡単なものではない。確かに最終的な目的はひとつなのかもしれない。しかしながら、いつも単調ではつまらない。
昨今、卵かけご飯も進化している。最初はかける醤油をお取り寄せのおいしいものにこだわったり、トッピングを加えていくだけだったが、最近はさらに手が込んできている。あえて卵白をメレンゲにして乗せたり、はたまた焼きおにぎりに半熟卵を乗せたり…。調べていけばいくほど「卵かけご飯」の定義とは、と少々懐疑的になるが今は「映え」が正義なのだ。
これを睦言に例えるなら、ちょっと高級でオシャレなホテルを予約して行って、「映え」を意識してみたりラグジュアリーなサービスを楽しんでみたり、そう言う事なのかもしれない。変化をつけるというのは、いつもとは違う前戯などをするとか、そう言う事なのかもしれない。しかしながら、このあたりの話になると、経験人数が一桁の私では全く膨らませられないのが大変残念である。参考文献はいつも拝見させていただいているものの、悲しいかな、まったくもって実地には活かされていないのである。

でも、ここでひとつ思うのは。いくらプロセスを重ねても、卵かけご飯は卵かけご飯でしかないということ。他の物を足そうとも主役は「卵」と「ご飯」であり、この二つが混ざり合って胃袋を満たしていく。少々の変化はあっても、最終的な目的の満たし方は予定調和によって成り立っているのだ。

では、卵かけご飯と対極的なプロセスを辿る食べ物は何なのだろう?
その食べ物を推察するために、一度卵かけご飯のときのように人に置き換えて考えてみることにした。

ふたりはまだ、お互いに想いの確信が持てていないくらいの関係だとして。
連絡を取り合い、食事に行く日を決め、当日を迎えた。お店は評判で賑わっている居酒屋。昨今の感染リスクも考慮しつつ、店の一角で飲み始める。生ビールと香ばしく揚がっているいる鶏の唐揚げが、他愛もない会話を引き出してくれる。心地よい会話とアルコールでふわりと酔いの回っている時、ふとあなたと目が合う。トクン、と何かが胸を打つ。この鼓動の高鳴りは、決してアルコールのせいではないと確信する。頭の中に巡るのは「どうしよう」「そんなつもりじゃなかったのに」ばかり。でも、どんなに理性が否定しても、本能から湧き上がってくる感情には抗えないのだ。「あなたに抱かれたい」そう思いつつも、理性で必死に隠す。それなのに、グラスを渡す時に手が触れたり、ふと席を立つ時などに腕がかすめたりする度に更に高揚するのだ。それでも自分だけの勘違いが怖くて、お店を出るまで何も言えなくて。お店を出て「これからどうする?」と言いつつ、すっと私の手を引いてくれた時、ようやく私は確信し安堵した。そして、小さく頷きあなたに手を引かれ夜の街へと歩いていくのだった…。

みたいな感じだろうか。
そしてこの世界観を私の独断と偏見で考察するに、このシチュエーションのような食べ物とは「鍋」なのではないかと思う。これを書いているのは夏なのに、ちょっと季節外れでイメージしにくいかもしれない。でも、このまま話を進めさせてもらう事にする。

鍋と一言に言っても、そのバリエーションは卵かけご飯の比ではなく、そして主役も定まっているものではない。まずはメイン食材や味のコンセプトを決めるところから始まる。そして食材を調達し、切っていく。切り方や下ごしらえの方法でも細かいところで出来上がりが変わっていく。そして具材を煮込み味付けし食べられるくらいにまで仕上げ、お好みに合わせて食べ進めていく。しかしながらこの時点でまだゴールは決まっていないのだ。シメは麺なのかご飯なのか。はたまたその前にお腹いっぱいになってシメまでたどり着けないのか、最初の時点では完全には予測できない。卵かけご飯のように、絶対にご飯で胃袋を満たすというような確証は最初には存在しないのだ。そこが、前述のような、食事からその日の夜にどう展開していくかの予測がつかない二人のように、お互いが探り合いひとつの答えを導き出すようなのかと思う。


さて、ここまで書いておいて全く無粋な事を言わせてもらうと、実はもう随分長らく卵かけご飯を食べていない。最近の朝食はもっぱらフルーツグラノーラなのだ。しかし、卵かけご飯とフルーツグラノーラは世界観が似ているなと思った。空腹と言う渇望のトップギアの状態を、いたってシンプルでストレートにかつスピーディーに満たす事が出来る。卵かけご飯もフルーツグラノーラもあえてデメリットを言うなら、味が単調で食べ終わりには惰性になりがちだというところだろうか。フルーツグラノーラの食べ始めはおいしいのに、途中から牛乳によってふやけたオーツ麦の食感が違和感を生む。とは言え牛乳を全くかけずに食することも出来ず、なるべくオーツ麦がふやける前に食べてしまいたいと、やたら口に運ぶスプーンを急がせる。その所作が慌てて欲望を満たすかのようで、我ながら興ざめするのだ。卵かけご飯の時も同じ。ご飯が熱々のうちに食べてしまいたい、ご飯が冷めるとおいしさが半減してしまうのに、ついつい他の用事にかかってしまい、あとで後悔する。もしくは、醤油が足りなくてあとから足してしまうとか。後悔しても、途中で不味くなってしまっても、後戻りできない。始めてしまった以上、完食以外に選択肢は無い。

そうなのだ。睦言も同じで、最初から欲望がトップギアだと満たし合った後の充足感は確かにあるが、一味足りないような気分になる。途中で中だるみしてしまう事もある。あんなに渇望していたのにと思うのに、急に冷静になり冷めてしまう事もある。それでもひと通り満たしあうのだけれども。
そう思うと、鍋のように空腹とゆっくりと向き合い、じわりじわりと仕上がっていく方が充足感は高いのかもしれない。焚火のようにじっくりとおこした火は中だるみする事なく燃え続け、最後に美しく燃え上がる…のではないかと思う。



こんなクレイジーな文章にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
本当に久しぶりの3000文字チャレンジでした。
これを書きたくなったのは、3000文字の原点「3000文字ハンバーグ」のマチ子(ミドリ)さんの文を久しぶりに読んで、メガトン級の衝撃と影響を受けたからでした。おりしも、ハンバーグも卵かけご飯もポピュラーな食べ物。あれよあれよとオマージュ的な文章が湧いて出てきたのでございます。ぜひともマチ子さんの3000文字ハンバーグも読んでみてください。リンクは貼ってませんが。

久しぶりでもこっそり参加して、それでも受け入れてくれる3000文字の懐の深さに感謝しています。ありがとうございました。