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グラム600円のカルビ肉と涙の理由

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突然のカミングアウトなのですが、うちには不登校の息子がいます。

彼は小学校4年生なのですが、3年の3学期から徐々に通えなくなり、4年の1学期にいたっては、出席とカウント出来たのは4日のみ。

…と人に話すと、まぁだいたいこう言われます。

「どうして行けなくなったんだろうね。原因は何?」

…それが分かっていれば何の苦労もないでしょう。実際、わが家のケースでは、これと言った決定的な原因というのは特に思い当たりませんでした。それなのに、朝になると彼の体調はぐずつき、学校に行かなきゃいけないと頭では思っているのに体が動かない。私は仕事の合間を縫って遅刻で登校させるために送り迎えしたり、先生と連絡を取り合って原因や対策を話し合ったりしました。しかし、これと言った解決はしないままコロナウィルスによる休校に入り、ずるずると3年生の3学期が終わってしまったのです。4年生のスタートももちろん休校。すると不登校を知る知り合いは気を遣ってるつもりなのか、こう言うのです。

「休校で良かったよね。学校行かなくていいから。」

その言葉を聞き、愛想笑いと相づちでその場をやりすごしつつも、私の中には釈然としない思いや行き場のない憤りを感じていました。息子はいい加減な気持ちや安易に楽を選んで学校に行かないのではないのに、と。

でも実際に、学校に行く行かないで悩まずに済み、心なしか安堵の表情の息子を見ていると、やるせない気持ちになりました。

休校中、私も特別休暇をもらいながら、出来るだけ息子と話す時間を増やしました。…と言っても真面目な話ではなく、ほとんどは面白いYouTuberの話やゲームの話など、他愛もない話題ばかりでしたが。そうやって話しているうちに、普段から会話はしていたと思っていても、やはり細かい事にまでは気配り出来ていなかった事に気づきました。

そして、たくさんたくさん話し、ある程度の不登校に至った息子の心情などがわかってきました。時系列でとりとめなく書くと、下記のような事がありました。

 

簡単に言うと、対人関係に強い不安があるのが根底なようでした。

元々明るい性格で、誰とでも仲良く出来、クラスのリーダー的な存在のように思っていた息子。でも、根はバカのつくほど真面目で、そう言えば幼稚園でもふざけたり嫌な事をする子にムキになって注意していたなぁ…と今更思い出しました。小学校2年生の時も日直や係の仕事で話を聞かないクラスメイトに必死に注意しては聞いてもらえないと家で弱音をこぼすほど。…家ではどちらかと言うと悪態をつくヤンチャな男の子と認識していたのに、そのギャップに少しビックリしていました。

そしてその2年生の時。当時大阪に住んでいて、父親や祖母から成績の事、生活態度の事、交友関係の事で事細かく言われ、それがその他の家庭の事情と相まって、暴言や暴力に変わっていったこと。そのせいか2年生の3学期(去年の2月頃)には原因不明の頭痛に苦しみ、起き上がれない程になり、数日学校を休んでいました。そういう事もあり翌月には別居に踏み切り、「もうあの言葉の攻撃を受けなくていいんだ」と安堵していた息子でしたが。大阪から私の実家である山口に引っ越し、転校後の学校生活も思いのほか上手くいっているように見え、そのうち友達に誘われてバレーのクラブに入り、順調に思えていたのですが。その当時から、子ども4人のうち彼が1番父親の事を引きずり不安に思っていたようでした。「お父さんが来たらどうしよう、怖い。」と夜眠れないと言う。その都度不安を取り除くように接していましたし、それもしばらくするとおさまってきました。

そうやって過ごしてきて、3年生の3学期を迎えた頃。毎朝頭痛を訴え始めた頃から、もしかしたら去年のフラッシュバック的なものかもしれないと思っていました。 その頃、学校の友達と少しトラブルがあった事も聞いたので、解決すればすぐに通えるようになると思っていたものの、解決してもやはりしんどそうなのです。

ひとつひとつ原因になりそうなものを取り除いているのに何故?なんで改善しないの?と焦る日々でした。

でも。私は彼を理解しているようで理解していなかった。

彼は4人きょうだいの第二子、頭の良い兄と、蝶よ花よと可愛がられる妹二人との板挟みの中間子。欲しいものなどに関してはワガママを言えていたようで、心の奥底では遠慮や自己肯定感の低さを抱えていた事を改めて思い知らされました。

何か対人関係など困った事に直面した時、彼はとっさに自分を押し殺すようになっていたようです(きょうだい間でも時々ありました)。だから、人と接するのが極端に怖い、だから学校やクラブにも行くのが怖くなっていたと。

 

ようやく、彼の心の奥底を垣間見る事ができて、正直嬉しかったように思います。でも、それで終わりではなく、ここからなのです。

4年生の新担任の先生に上記の事情を話し、協力を求めました。それ以降先生は毎日家に顔を出してくれて、息子と話してくれました。そのおかげで1学期後半には放課後登校をして学校で少し勉強を出来るようになり、さらには午後の授業だけ受けられる日も数日ありました。担任の先生はクラスの子にも理解を求めてくれていました。午後の授業に来た時には温かく迎えてくれていたそうです。

少し進展を見せた状態で、1学期を終えました。

 

短い夏休みとは言え、信頼を寄せ始めた担任の先生に会えない日々は彼にとって少し退屈なように見受けられました。そしてそんな折、彼にとってもうひとつのフィールド、バレーのクラブと向き合う機会が出来たのです。

対人関係がしんどいため、退部したいと言っているところを妹も入部しているので、不登校の事も知っているので休部扱いにしてもらっていて。

そんな折、『ちびっこ大会』の話が舞い込みました。例年4年生以下の子どもだけの試合があるのですが、今年は開催が危ぶまれていました。しかし、地域を狭めた形での開催が決まり、息子もぜひと誘ってもらっていました。

別に本人が乗り気じゃないのに、無理にさせる必要もないだろうと思う反面、対人関係への不安を乗り越えるのに一石を投じる事が出来るかもしれないという期待。無理しなくてもいいけど、どうせなら行ってみたら?と声をかけました。バレーの仲間であり1番仲の良い友達にも誘ってもらった事もあってか「応援だけなら」と同行する事になりました。

でも実際はすぐに試合に出る機会があり、そしてブランクを感じさせない安定のプレーをする事が出来ました。…別に息子にセンスがあるというわけではなく、もちろん基礎をコツコツやっていた彼の真面目さと、昨年度の男子のチームがレベルの高い試合ばかりを戦ってきていて、その中でポイント出場するのにも極度のプレッシャーに打ち克ってきたからこそ、なのでしょう。

とは言え普段が不登校で自宅で過ごす事が多く、体力が落ちているので最後の試合にはダウンして出れなかった訳ですが、友達には「出てくれてたら勝てたかもしれない」と言ってもらえるほどで、本人も自信を取り戻せたようでした。

 

久しぶりにビデオカメラを引っ張り出して、試合を撮りました。男女混合チームで、うちのきょうだい二人が同じコートで活躍する姿を家で何度も見返して。

もしかしたら、単なる親のエゴだったのかもしれない。ただただ来年は出場出来ない、きょうだい二人が同じコートに立つ試合に出て欲しくて、彼に無理を言ってしまったのかもしれない。でも、彼は色々な自分の中の葛藤もありつつも、それに応えてくれた。そんな試合中の背中を見ていると、涙が止まらなくなったのです。プレーの上手い下手じゃない、試合の勝ち負けじゃない、そんなものよりももっと尊く輝くものを見せてもらったと。そして、そんな心に輝くものを秘めた子ども達を授かった事が何より誇らしいし、親としてこれ以上の幸せな事はないと、ただ思うだけなのでした。

 

そして、帰り道「今日は本当に頑張ったから、ご褒美ちょうだいよ。」と息子のリクエストに応えて、普段は買わないような上等な焼肉用のお肉を買って帰ったのでした。

 

この経験のおかげで、息子は2学期から登校出来るように…なるとは思っていません。そんな単純なものではないでしょう。きっと2学期も行ったり行かなかったり、ちょっと頑張ってみたり、そしてそれで疲れてまた休んだり…の繰り返しなのでしょう。

 

それでもいい。人との事でこじれた心は、また人との関わりでしか乗り越えられないものなのかなぁ…と、自分の経験からも思うので。

人よりゆっくりでもいい。自分のペースで歩んでいって、少しずつ自身を取り戻せるよう、後ろからただサポートし続けようと思うのでした。